★日本人の宗教観と神仏習合★

★日本人の宗教観と神仏習合★

 私が、神社好きなのを知った友人からよくこう訪ねられる、「○×厄除け大師はいった?」「お寺を見て
回るのが趣味なんだよね?」等といわれる、両者ともに神社指しているのではなく仏教寺院を指しており
神社とお寺の区別が付いていないのである。
 「寺社仏閣」などという言葉があるように両者を十把一絡で見ている向きが、一般的には圧倒的であろ
う。
 神社は神道の宗教施設、お寺は仏教の宗教施設、まったく違う宗派の施設なのになぜ区別が付かな
いのだろうか。
 建築が似ている点、縁日やお祭りの日に夜店が出る点、共通項や類似点は他にもいっぱいあるだろう
が、両者は似て非なるものである。
 しかし、この両者は過去に一つだった時代がある、これが神仏習合である。
 徳川幕府以前は、当たり前に寺と神社は一緒、神社に別当職といったお坊さんが住職し本殿に向かっ
てお経を唱えていたのである。
 今でも、神社の隣にお寺があるのをよく見るが、それはその名残である。
 この祭祀は真言宗や天台宗といった大乗仏教、密教が日本に入ってきた頃に体系化される。
 神道の八百万の神は仏教の仏が人として現れた姿とし、八百万の神々を仏と同体としていった。
 本地垂迹説と言い、たとえば、皇祖神である天照大神は、真言宗の本尊、宇宙の根本の仏とされる大

日如来とし、大国主命は阿弥陀如来そして大黒天、もっともわかり易いのは、稲荷神社だ、その御祭神

宇迦之御魂命は、荼枳尼天、稲荷社の眷属は狐なのだが、荼枳尼天は狐に乗った姿の仏である。
 こうして八百万の神々は仏と結論付けられていくわけだが、この祭祀は明治政府が神仏分離令を発布
するまで続く、以降、千年をゆうに超える期間当たり前だった祭祀が、異端とされるのである。
 神社とお寺の区別が付かず、結婚式は神道で行い(最近はキリスト教式も多いが)葬式は仏教で行う
これこそ神仏習合であり、この日本人の宗教観念はここから来るものではないだろうかと私は考える。
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送