日本の杜神社参拝日記 ☆井草八幡宮参拝日記☆

源頼朝公ゆかりの杜 井草八幡宮

平成16年8月24日参拝
 
 東京、西の大道である青梅街道、荻窪を過ぎると大鳥居が目に飛び込んでくる。
 井草八幡宮は都会の喧騒もやや残る杉並区に鎮座する。
 写真は東参道の大鳥居、深緑が神域の境界線を造る。
 
 
 
 
 
 
東参道の大鳥居
 
 神域に入るや否や静寂に包まれる。
 真っ直ぐにのびるこの参道では、昭和27年より5年ごとに流鏑馬神事が行われる。
 
 
 
 
 
 
 
参道
 
 参道の杜を進むと二対の随身が守る楼門が見えてくる。
 昭和46年に参道整備に伴いこの楼門は新造された、深緑に朱がとても映える、この杜の見所の一つである。
 随身像は櫛磐間戸神と豊磐間戸神、いわゆる阿吽の門神である。
 
 
 
 
 
 
楼門
 
 ここにも力石がある、境内の隅に整然と並べられている。
 
 
 
 
 
 
 
 
力石
 
 社殿から見てほぼ正面に一本の松が植えてある
 源頼朝公御手植の松である、源頼朝公が奥州藤原氏討伐に向かう途中でここ井草八幡宮に立ち寄り戦勝を
祈願した奥州藤原氏討伐は成功、戦勝し奥州を平定したその後頼朝公は雌雄二本の松を奉献した建久4年
(1193年)のことである。
 その後明治元年に雌松が枯れてしまった、さらに雄松は都指定天然物となるものの昭和47年に強風で折れて
しまう、現在の松は源頼朝公御手植の松の末流にあたり、二代目である。
 また、神門の内側には初代御手植の松が衝立となり今も生きている。
 
 
二代目源頼朝公御手植の松
 
 広い境内から神門をを望む。
 
 
 
 
 
 
 
 
玉垣に囲まれる神域
 
 ここ井草八幡宮は、前述のように源頼朝公をはじめ武門からの崇敬は厚く徳川幕府より、徳川家光の代に6石
余りの朱印領を拝領される、また本殿は寛文4年(1664年)今川氏堯公による改築。
 明治時代の社格は村社だが昭和3年に郷社に列せられる、戦後は昭和41年に神社本庁別表神社となる。
 神門をくぐり、権現造りの社殿を望むが大きくて本殿までは見渡せない、派手さは無いが重厚な造りは圧巻で
ある。
 境内や建築をみると度々の社格の格上げも、うなずける立派なもの、氏子の厚い崇敬と信仰の力である事は
間違いなく、今後も発展することを願いたい。
 
 
社殿

御朱印

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