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神田明神の通称で知られる神田神社、本郷通り沿いに鳥居が立つ。
銅の明神鳥居は大きく目立ち、都会の一画に忽然と神域が現れる。
朱塗りの随身門
豪華絢爛な彫刻が施され、風水の四神のほか大己貴命神話が彫刻にて描かれる。
江戸っ子好み、粋でいなせ、そして雅も併せ持つ造りである。
私のお気に入り、因幡の白兎神話の彫刻。
石造りの大国像は随身門のすぐ脇にある。
記紀神話の大国主命(大己貴命と同じ)というよりは、神仏習合の大黒天の石造である。
ちなみに七福神の恵比寿神は、少彦名命と同体とされる、
恵比寿、大黒と併称されるがここ神田神社は御祭神はまさにそれである。
社殿脇の獅子山は獅子の子落としを表す。
文久2年(1862)に奉納されるも、関東大震災で崩壊する。
現在の獅子山は平成2年に再建された。
銭形平次の碑、時代劇でおなじみの銭形平次、原作は野村胡堂の「銭形平次捕物控」
小説では明神下の元の台所に銭形の親分は住んでいた、江戸っ子のヒーローである。
もちろんフィクションで実在の人物ではないのだが作者、出版社等の有志がこの石碑を建立する。
小説のヒーローながら架空の人物の石碑、洒落た話である、江戸っ子の心粋ここにあり。
境内摂社の一つ江戸神社、スサノオの命(牛頭天王 )を奉る。
大宝2年(702)今の皇居の中に創建される、江戸の地名にもなった坂東の豪族江戸氏の氏神である。
神田神社の御祭神の平将門公は武家の名門桓武平氏流であり江戸氏もその流れを汲む秩父平氏流。
太田道灌公以前、平安時代の江戸史もここに集約される。
狛犬は正面を見据え明神様を守る。
江戸時代に崇敬を集めた神社のお約束とも言おうか、権現造りの社殿、創建は古く天平2年(730)。
平将門公が俵籐太に討たれ、その御首を一党が葬り塚を築いた場所がここから百歩の地。
荒俣宏の小説「帝都物語」の舞台で怨霊信仰の神社とのイメージも強いが陽気な神社である。
天下祭で知られる神田明神は、江戸っ子のシンボルとして今も健在である。
御朱印