日本の杜 神社参拝日記
 
お犬様が守る杜 三峯神社
 
平成16年10月27日参拝
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三ツ鳥居
 今や埼玉県を代表する神社との呼び声も高い三峯神社、ここは秩父神社、宝登山神社と並び称される秩父三
社の一つである。
 私はこの三峯神社が大好きで度々訪れている、折りしも今回の参拝は、社殿をはじめ建築の大修復がこの月
に完成するとの情報を得て、待ちに待っての参拝である。
 さて、写真は神域の入口に建つ三ツ鳥居である、鳥居としては珍品で「参拝日記東京都編」の牛嶋神社でも
紹介したが三輪鳥居とも言う。
 
 
 
狛犬はオオカミ
 

 鳥居の前には狛犬が一対、秩父地方の狛犬はオオカミで有名だが、特に三峯のオオカミ狛犬はその代表格。

 秩父の山々を舞台にした日本武尊東征神話の御眷属のオオカミである。
 三峯神社でこのオオカミは大口真神としてお仮屋という社に祀られる、お犬様とも呼ばれるいわゆる眷属信仰
である。
 
 
 
 
 
 
遥拝殿
 鳥居をくぐり参道を歩き遥拝殿に到着。
 妙法ヶ岳山頂に鎮座する奥宮を望みそれにここから参拝できる、二拝二拍手一拝にて参拝する。
 私は初めて三峯神社に訪れた時、この遥拝殿に山をご神体とする神奈備信仰を感じ非常に感動を覚えた。
 ここからの景色は、山という大自然への崇敬を禁じえない、神道の根本的な自然信仰がここに集約される。
 あえて、ここからの景色の写真を掲載しない、なぜならば感動を伝えきれないからである。
 景色写真は撮影したものの、なんだか写真の限界を感じてしまった・・・。
 
 
 
日本武尊の銅像
 
  ここ三峯神社は日本武尊が東征の折にの創建である伊弉諾尊、伊弉冉尊を祀った事から始まる。
 境内にはその日本武尊の銅像がある、地上15mの高さがあり、秩父の山々を見守る。
 
 
 
 
 
 
 
 
大山倍達の碑
 日本武尊の銅像の近くに色々と石碑が有るのだが、目を引いたのがこれ「大山倍達の碑」である。
 極真空手の創始者故大山倍達氏、氏はここ三峯神社境内で空手修行を行った、それを記念して氏の門下生
によりこの碑は建てられたものであり、三峯は空手家の聖地である事を物語る。
 
 
 
 
 
 
隋神門
 
 隋神門、「三峯山」と書かれる巨大な扁額が迫力である。
 扁額の文字は伊勢長島藩主にして畫人であった増山雪齋(1754〜1819)の筆跡。
 元々隋神門は元禄4年(1691)に社殿前の青銅鳥居前に建立される。
 現在の隋神門は、寛政4年(1792)に再建されたもの。
 また、仁王像が守っていたが神仏分離令によってそれは明治初年に撤去され埼玉県鴻巣市の勝願寺に移さ
れた。
 
 
 
 
銅鳥居
 社殿前に建つ鳥居は弘化2年(1845)建立の銅製鳥居、額は隋神門の扁額に負けず劣らず大きな印象であ
る。
 江戸木場竪川講によって奉納される、鳥居の柱に奉納者が刻印されるがその中に講談や歌舞伎の「塩原太
助一代記」でおなじみ江戸時代の豪商初代塩原太助の名も刻まれている、三峯神社の見所の一つである。
 
 
 
 
 
珍品木製の八棟灯篭
 
 鳥居の脇には八棟灯篭がある灯篭といえば石や銅で出来た物が多いが、これは木製の珍品である。
 そして造りも精巧な彫刻、そして妻の唐破風が立派な逸品である。
 安政4年(1856)の建立である。
 
 
 
 
 
 
 
小教院
 ここ三峯神社は神仏分離令前は時代の変遷に伴い真言宗、天台宗、そして修験道それぞれに属し栄えたが
その時代、観音菩薩を祀った本堂がここ小教院である、この裏手には鐘楼もあり共に神仏習合の名残を残す。
 現在では喫茶店となり参拝後に休憩が出来る。
 また現代的な宿坊とでも言おうか興雲閣という宿泊施設がその隣にあり、ここでは温泉に入る事が出来る、も
ちろん私は参拝後にそこで汗を流した。
 
 
 
 
社殿
 
 社殿は極彩色な彫刻に彩られる、本殿は一間社春日造りで寛文元年(1661)の建立、埼玉県指定文化財
 拝殿は寛政12年(1800)の建立、平成16年に社殿修復事業にて極彩色の社殿がよみがえった。
 私が始めてここに訪れた時、今でこそ車で境内まで来る事が出来るが、凝った造りの社殿をはじめ隋神門等
の建築をこの深山に数百年前に造営した事を想い信仰の力の偉大さを感じたものである。
 三峯神社の三峯とは、奥宮が鎮座する妙法ヶ岳と雲取山そして白岩山の三峯三山の峰が美しく連なる事から
名づけられた。
 古代からつづくこの山への信仰は今も健在、そしてこれからもそれはつづくであろうと思わせる杜である。
 
 
御 朱 印
 
 
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