日本の杜神社参拝日記 ☆根津神社参拝日記☆

天下祭りの根津権現 根津神社

平成16年8月18日参拝
 
 根津の権現さまとして親しまれる根津神社。
 江戸時代、例大祭の折神田明神、山王日枝神社そしてここ根津権現は、江戸城内に神輿が入ることを許され
たこれを天下祭りという、それほど江戸幕府からの厚い崇敬を受けた神社なのである。
 写真は一の鳥居、明神鳥居である、嫌味が無い渋い朱色で塗られ中々の逸品である。
 
 
 
 
 
一の鳥居
 
 二の鳥居は神明式の石鳥居。
 鳥居の奥は広い境内でここから一望できる。
 
 
 
 
 
 
 
二の鳥居
 
 二の鳥居をくぐるとまず目に飛び込んでくるのは楼門である
 随身も守る重厚な造りで国指定重要文化財である。
 ちなみに向かって右の随身像は水戸黄門でお馴染み水戸光圀公である。
 
 
 
 
 
 
楼門
 

 神楽殿は白木で造られ派手さは無く落ち着いた印象ながら存在感がある、楼門をくぐるとまず目がいってしま

う。
 神楽殿の隣に大きなイチョウの木が立ち歴史を感じさせる。
 
 
 
 
 
 
神楽殿
 
 稲荷鳥居が林立する乙女稲荷神社参道。
 鳥居が低いのでやや腰をかがめながら鳥居のトンネルを通る。
 
 
 
 
 
 
 
乙女稲荷参道の鳥居
 
 途中に六代将軍徳川家宣公胞衣塚がある。
 胞衣(えな)とは胎盤のこと、出産後胎盤を埋め、塚を築く習慣は古来から上流階級の家系にに見られる。
 ここ根津神社は松平綱重公(六代将軍徳川家宣公の父)の下屋敷跡にして家宣公の生誕地でもある非公開
ながら家宣公の産湯井戸も社殿近くに残る。
 
 
 
 
 
徳川家宣公胞衣塚
 
 さらに、鳥居のトンネルをくぐると乙女稲荷に到着する。
 朱の社殿がなかなか雅な佇まいである、写真は西門前から池を挟み撮影したもの、深緑に朱が映える。
 
 
 
 
 
 
 
乙女稲荷神社
 
 唐門、これも国重要文化財。
 写真は正面からなのでわかりにくいのだが屋根の両妻に唐破風をそなえる。
 
 
 
 
 
 
 
唐門
 
 唐門をくぐり社殿前に銅鳥居がある。
 藤堂和泉守高敏公による奉納のこの灯篭もまた国重要文化財。
 
 
 
 
 
 
 
銅灯篭
 
 紹介した通り境内にある建築物のほとんどが国重要文化財指定であるが、社殿ももちろんそれである、権現
造りの社殿は他の重文建築物と同時期の宝永3年(1706年)建立である。
 創建は古く約1900年前に日本武尊が須佐之男命の御神徳を仰ぎ千駄木に祀ったのをはじめとする。
 現在の鎮座地は五代将軍徳川綱吉公が世継として甥の松平綱豊(後の家宣公)を養子とした後、甲府藩主

松平家下屋敷であったこの地を奉納遷座し、次期将軍の産土の神として壮麗なる社の建立が始まる天下普請

の大造営である、家宣公が六代将軍を継ぐと将軍の産土神として幕府はもとより庶民からも厚い崇敬を受けた。
 季節にはつつじの花が咲き乱れるつつじが岡は有名で、3000本のつつじが神域を彩る。
 またつつじの季節に参拝したい、そう思わせる杜である。
 
権現造りの社殿
御朱印
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送