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神仏習合の遺構が奥武蔵の入口、埼玉県飯能市あることを知り即参拝に行くことに決定する。
前日、遠足の前の晩のようにワクワク気分で遅く迄眠ることが出来なかったが朝6時に目覚めいざ出発!
何しろ山奥である道中、落石が林道に転がっていたり、この山に対し恐怖すら感じる。
神仏分離を忘れられたのもうなずける深山である。
途中、『子の権現』『に立ち寄る、天台宗のこの寺もまた神仏習合なり。
参道に明神鳥居が立つ、『権現』とは仏の垂迹として化身して現れた神道の神の意。
足腰に霊験ある神仏とのこと。
林道沿いに、鳥居に守られるお地蔵様発見!
山王鳥居が本山派天台宗系を物語る。
さあ、『医王山薬寿院八王寺』通称『竹寺』である。
林道運転で少々疲れぎみだが、一の鳥居に出迎られ元気を取り戻しいざ参拝。
境内にブロンズの牛頭天王像がある。
本地垂迹説によれば牛頭天王はスサノオノミコトと同じ、京都祇園の八坂神社でも祀られていた。
インドでは祇園精舎(仏教の神学校)の守護神である。
ここ、竹寺は『武蔵野観音霊場』の結願寺でもある。
写真は『三十三番結願堂』である。
ここが『竹寺』たる所以は境内に生い茂る竹である。
山寺に映える竹林が風流さをかもし出す。
本坊は茅葺。
屋根の上にご注目あれ、神社のシンボルのひとつ千木に見えなくもない。
本坊にて『竹寺』ご住職の大野亮雄氏にお話を伺う。
御歳八十八歳、米寿を迎えるご住職に、神仏習合文化について詳しくご教授いただいた、感謝!
ここ『竹寺』が神仏習合を残せたのは山奥ということと奥武蔵の神仏習合に寛容な土地柄も手伝ったとか。
修験道盛んなこの地は、生活に神仏習合が、溶け込んでいるのであろう。
ご住職、大野亮雄氏
本坊脇に参道は続く。
竹の鳥居をくぐる。
竹鳥居
本殿が見える・・・。
はやる気持ちを抑えつつ参道を急ぐ。
神社らしくなってきた・・・。まあ、元々神社なのだ。
ご住職によれば、神仏分離令の当時、五万分の一の地図上には鳥居マークが印されていたそうだ。
茅の輪がついた両部鳥居、茅の輪神事は各地のスサノオノミコトが祭神の神社でよく見うけられる。
また、蘇民将来護符も配る、京都祇園の八坂神社との共通項である。
本殿は平成11年2月6日夕刻、不審火により消失した・・・。
本殿脇の牛頭天王木像は、焼け焦げ、火災の激しさを物語る。
この貴重な文化遺産は、後世に残すべきであり、みなで守りたい。
社殿は狛犬も守る茅葺の神社形式。
前述のように平成11年に焼失した本殿は再建され平成15年11月15日に落慶式を迎える。
さてここでふと考える、二拝二拍手一拝にて参拝すればよいのか、南無薬師如来(本地仏)なのか・・・。
神社と見た私は、神道式、二拝二拍手一拝にて参拝を済ませ下山の徒につく。